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『ブログ』で書きたい事を書いてます

中学生活から高校生活まで

   

私は小さいながら母も父も一緒になれないという事は理解していました。

ただ、私は幼少の頃の記憶は母との思いでしかなく母と一緒に過ごしたいという気持ちが強かったのですが小学校6年間と言う期間は非常に長く友達もたくさんできたのでまた新たな地に行き友達もいないという環境がつらかったという事もあります。

私は中学校3年間は児童養護施設で生活するという事だけを母と施設の先生に伝えましたが少し後悔もありながらこれでよかったと思います。

前回:4年ぶりの母との再会

小学校卒業から中学生

小学生の卒業式に母が来るという事で私は卒業式の送る言葉では母に対しての思いを伝えるフレーズを選択し母に伝えたと思います。

 

中学生になり私も年頃になり中学生活はそれなりに楽しみました。私が通った小学校と中学校は県内屈指のモデル校もあり生徒同士の問題について常に真剣に向き合う学校でした。

参考リンク:夢物語・イジメを体験して

 

中学校になると思春期になり母や父と一緒に生活をしたいとかそんな事よりも好きな子に夢中になる毎日でした。

 

ただ、この頃より学校に持っていく書類など、保護者のサイン部分が自分の両親ではないのでその都度説明するのが結構面倒でその都度『大変やったね~』って言われるのが結構面倒だったという事です。

児童養護施設での生活

私は父も母も会える立場なので比較的幸せな環境だったので中学校に入った時はさみしいという事はそれほどありませんでした。

 

私の場合は本当に幸せでした。

私の周りの子供のほとんどは『育児放棄』、『子供への暴力』、『経済的理由』でした。

中でも多かったのが『育児放棄』です。

 

ほとんどの子が母や父から育てる事をやめた児童でした。

ですから自分の父や母の顔を知らない子や母と父と会えないという児童ばかりでした。

周りの状況が状況だけに私は両親にも会えるし一緒に暮らすという選択肢もあったので本当に幸せな立場の方でした。

 

参考:兄と2人だけになって

中学3年間後の決断

中学3年間は割と真面目に通った方だと思います。

3年間は児童養護施設で過ごすと決めたのですが卒業後の進路について考えるなかまた私が母の方に行くのかどうなのかと言う決断に迫られましたが私はもう面倒になり高校3年間も児童養護施設で過ごすと決めました。

 

母は10年待っても子供を引き取れる事が出来なくて本当に悲しい思いをしたみたいです。

 

 

そして大人へにつづく。

 

 

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村瀬

村瀬

普段メインブログで書けない事をこちらで書いています。 たまには人間臭い事も書きます。

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