それなりに生きていける
人間は強い生き物でありそれなりの環境で適応できると感じます。
私は様々な環境で生きていけると思いました、そして周りの愛情に感謝します。
前回:兄と2人だけになって
周りの環境
私は今から思えば自分の両親が離婚して、施設に入り様々な人生を歩んできましたが不幸とは思いません。
勉強ができない、母、父がいないという環境の中私はあまり不幸だったとは感じません。
私は小学校1年生ぐらいで両親の離婚、そして父の入院で兄と2人きりになりました。
兄も不安な人生だったと思います。それでも私を支えてくれた兄に感謝します。
私は小学校2年生で児童養護施設に入りました。
しかし、私の入った施設は少し特別な環境でした。
普通は職員の方が交代で子供を見るという環境ですが私は職員である先生が24時間365日一緒にいるという特別な方でした。
普通であれば ”仕事” なので職員と子供はそれなりの距離感がありますが私を担当してくれた職員である先生は特別でした。
だって家族のように24時間365日一緒にいてくれた方なのです。
普通ではありえない事ですが私を担当してくれた方はそういう方でした。
24時間365日
その職員の方は若い頃借金をして自分の思う施設を作りたかったそうです。
借金の額は分かりませんですが30年ほど苦しい思いをしたと話をしてくれました。
私は今でもどれぐらいの借金かはわかりません。
ただ、覚えているのは『どれだけ辛い思いをしても子供が大好きだ』っていうその方の言葉だけを覚えています。
だって24時間365日他人の子供を面倒見るって本当にすごい愛情だと思います。
それほど私や周りの子供を愛し、そして自分の子供の用に接してくれたのです。
小学校4年生
そんあ愛情深い先生とも4年間も生活しておりました。
お風呂に入るのも毎日一緒でした。
それまでは兄と一緒に毎日お風呂に入っていましたがいつの間にか兄も中学生になり、職員の先生と一緒に入る事が多くなりました。
そんな中私はこんな事を話しました。
僕『お母さん今頃どうしているのかな?』
先生『お母さんに会いたいのか?』
そんあ感じの会話だったと思います、その後はあまり覚えていませんが職員の先生が突然語りだした事は今でも記憶に新しいことでした。
突然の話
先生『実は小学校6年生までは話さないともっていたが話すよ』
先生『実はお母さんが小学校2年生の時にな。』
先生『お前を引き取りたいって施設に来たんだ』
先生『おじさんはまだ、待ってくれこの時期だと本人も混乱するから小学校6年生までまってくれ』
※先生はおじさんと呼んでいました
先生『って話をしていたんだけどもうお前も大人になったから自分で決めてみろ』
先生『お母さんと会いたいのか?どうなのか?』
そんな話でした、私はもちろん会いたかったので即答しましたがその当時は法律や親権問題なんて全く気にしていなく
ただ、母と会いたいという気持ちでいっぱいだったという事だけを覚えています。
4年ぶりの母との再会へつづく

村瀬

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