離婚後の生活と私生活
あれから数日私はもう母に会えないんだって事を理解し始めました。
小さいなりにどうやって理解していったのかはわかりません。
前回:両親の離婚で感じた物
何かに没頭しないとさみしくなった。
私は父に引き取られてすぐに小学校が始まりました。
当時はどうやって母ともう会えないと言う事から立ち直れたのかは分かりません。
ただ、兄や父が一生懸命あれこれしてくれたという事だけを覚えています。
私が小学校に真面目にいけたのはたぶん6ヵ月ぐらいだったと思います。
それなりに学校は楽しくいきました。私は友達がいませんでしたが兄は何人もの友達がいたので兄の友達に交じって遊ぶっていう事がたくさんありました。
1年生の作文にも兄の友達と遊んだって書いた記憶があります。
しかし、6ヵ月小学校に行ってぐらいからある変化が現れました。
それは学校に行きたくない。
始めは当時発売されたばかりのファミコンをやりたいという理由でしたが実は違います。
母と父の愛情がもっと欲しいとい理由です。
兄も私も学校に行きたくないのではなく両親と離れるのがさみしくてし方がないという理由で学校に行くのが嫌でした。
兄は私よりも大人だったのでしぶしぶ学校に行かされていましたが私はまだ6歳と言う事もあり父の職場や知り合いの方の所でお世話になっていた事を覚えています。
この時から段々何かに集中していないとさみしくてしかたがなかった事を覚えています。
仕事を転々とする父
私がまだ小さくさみしいという理由でなるべく自宅に在籍しながら出来る仕事や一緒に連れて出来る仕事を転々としていました。
ゴミ収集・病院の雑用・電化製品の修理・自動販売機・ペットの販売と様々な仕事を転々としていました。
私は小さかったので具体的な仕事何だったのかは分かりません。
しかし、父が段々おかしくなるのは小さいながらも感じていました。
父の変化
父はよくカードを使用していました。
それは銀行でお金を引き出すカードなのかキャッシングをするカードなのかは今でも不明でしたが多分クレジットカードだったと思います。
よく父は何かが出来ないと店員に罵倒する事もあり子供なりに何となくおかしいなって感じていました。
でも、当時私は6歳だったので何もわかりませんでした。
ただ何となく父が段々おかしくなっているって事だけは感じていました。
父が突然の入院
父の入院
急に親戚である父の兄や兄の奥様が父を無理やり連れていき入院する事になる。
父の兄はこれだけを私と兄に伝えました。
父の兄『お父さんは病気だから入院するよ…』
私は何の病気かわかりませんでしたが父が叫びながら連れていかれるのだけを覚えています。
また、両親がいなくなり今度は兄と2人だけになった…
兄と2人だけになってへつづく
村瀬
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